2006年問題 


 2006年問題って知ってますか?この前どっかの新聞で読んだんだけど,2003年から施行される新しい指導要領で卒業した高校生が大学に入学してくるのが2006年.この2006年が非常にクリティカルな年になるらしい.

 新しい指導要領では現行のものよりもさらにゆとり教育が重視され,教育内容が大幅に削減されるらしい.何でも,中学の理科ではイオンを習わないらしい.さらに,高校では理科は1科目だけの選択になり,化学や物理を知らないで理系の学部に入ってくる生徒が現れるという.
 近年,大学生の学力低下が叫ばれて久しいが,その流れにとどめを打つのが2006年らしいのです.

教育基本法 第一条(教育の目的)
教育は,人格の完成を目指し,平和的な国家および社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたっとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない.

 いったいゆとり教育とは.偏差値だけに頼らない多様な評価基準を設け,生徒個人の個性を伸ばす教育・・・ということだろうか.しかしやっていることは,競争を無くしみんなが“平等”であろうとしている.例えば,この前のテレビでもやっていたけど,運動会から順位を無くしたり,学芸会ではみんなが主役とか.
 それで,個性が育つのか?どっかの社会主義の国みたいじゃないか?すべての機会,資源を平等に配分する.それこそ没個性の最もたるものじゃないのかなぁ.

 人にはそれぞれ得手不得手があるから,ある尺度から図れば当然個人差はある.あって当然.今まではその尺度があまりにも学力だけに偏っていたから,その尺度のベクトルをいろんな方向に伸ばそうというのは賛成できる.いろんな価値基準を設けた上で,やっぱり競争は必要だと思う.みんなが平等なんていったら,向上心もへったくれもない気がする.第一そんなこと言ってたら,資本主義なんか成り立たない.

 だから,このゆとり教育っていうのはものすごく矛盾を抱えている気がする.で,僕が思うに・・・

 やっぱり能力別クラスがいいと思う.もちろん,いろんな能力に関してクラス分けする.だから,小学校のうちから単位制にして何年何組ってのをやめたらどうだろう.どっちみちクラス崩壊しているなら,いっそのこと最初からそういう概念をなくす.
 そうしたら,授業の構成員も年齢に幅ができて,自然と縦のつながりができる.学校全体をひとつのコミュニティにして,その中でいろんなネットワークを持てるような環境がいいんじゃないかなぁ.
 “同じ学年の生徒”という横のネットワークと,“生徒対教師”という縦のネットワークだけじゃもう限界がきていると思いませんか.時代はまさにニューラルネットの時代.

 でもねぇ.僕は実際に教育の現場にいるわけでもないし,中高と私学の高校に通っていたからそういうことに関してほとんど実感がわかないのも事実.下手すると,僕の中で勝手に自己完結した机上の空論ってやつになってしまう.ほんと難しいなぁ.

 



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